インドネシア:首都ジャカルタの【スラム(貧民街)】を歩いてみた
観戦したいな〜と思いつつ、結局チケットを購入できてなくて、
その勢いのまま、夜、ジャカルタのスラム街に行ってみた。
観光地には歳をとってからも行けるので、
私はよく観光客がいないような場所を探しては歩いてみる。
今回は、夜8時に暗がりのスラムへ・・・
少々勇気がいったが、インドネシアは比較的治安も良く
海外経験も少しあるため、初めての経験だとチャレンジしてみた。
改めて断っておきたいのだが、決して冷やかしではないし、おすすめもしていない。
きっかけさえあれば間違いは起きるし、スマホを取られた、お金を取られたという話もある地域だ。
実際行ってみると、案の定、やばい雰囲気だった
日本で例えると・・・・って例えることはできない・・・
映画でみる昭和の闇市とでもいうのだろうか・・・
明らかに、街並みは汚い。
サンダルで行ってしまったのだけれど、傷口から病気もらわないか?と心配になった。
あかりも少ない中、子供たちはとても楽しそうにサッカーをしている。
昔小学校で誰もいなくなるまで、壁にボールを投げたり、
ゴールに向かって、シュートをしていた頃を思い出した。
こっちにボールが転がってきたら蹴り返そう、そうすれば一緒にサッカーできるかな?!
と一人妄想したが、そんな、深夜特急のようなエピソードは起こらない。
これは現実なのだ
にしても、子供たちにはスラム感や不幸感は全くなく、薄暗い中、きゃっきゃ楽しそうにボールを追いかけていた。
いつも微かに排水の匂いがする
周りに人がいるが、お互い顔は見えない。だから目も合わない。
けど、相手はこちらが外国人であることはしっかり認識している
まさか日本人ってこともわかっているのか・・・・
こちらから何もしなければ、相手は何もしてない。
しかし何かきっかけを作れば、どうなるかわからない。そんな雰囲気だ。
ただ、不思議と身の危険を感じほどではない・・・・それはわかる。
せいぜい、お金を取られる程度かな〜、殴られたり、身の危険に至るようなことはないだろうと、不思議と思った。
◼️なんでこんなところに来たかったのだろうか・・・・
ここに来ると誰もが思うことがある。
「私(豊かな日本の人々)」と「このスラム(貧しい)の人」どちらが、幸せなんだろうと・・・・
不思議なことだけれど、自信を持って、私(豊かな日本)の方が幸せだ!と、
どうしても断言ができないのだ。
私を日本人代表のように言うのは間違っているのは、重々承知している。
スラムに行った翌日、先日まで勤めていた会社の元上司から
私が抜けた後の会社が大変だ!ちょっと相談があるのだけれと・・・という電話があった。
私は、今ジャカルタで電話をとっていることは黙って、話を聞いた。
とにかく電話の向こうでは、あのとてつもなく多忙な日々が繰り広げられていた。
私には、明らかに適切な仕事量を超えた仕事をやらされているのだから、
問題が解決しないのが当たり前だし、もし問題が解決したら
【さらに解決できないだけの、仕事を会社は追加してくる】
それが、衰退国家の衰退経済における多数派会社員の宿命じゃなか。と思っている。
そもそも、DX化で(無駄な人件費を削って)生産性を上げましょう!と謳っておいて
副業解禁、休みも働きましょう! とも言いつつ
一億総活躍といって、定年廃止(死ぬまで労働)って、矛盾もいいところだ
多分、嘘を言っているか、本当のことを隠しているかのどちらかじゃないか!
不思議と、日本を離れ、ある日は5つ星の超高級ホテルに泊まり
翌日、スラム街で子供たちの笑顔を見て、一緒にサッカーしたくなってみて思うのは
どちらも、同じだけドキドキするし、同じだけ達成感(幸福感)もあるってことだ
(そんな気持ちになる私がおかしいのだろうか・・・・)
そして、こんな穏やかなイスラム国にも資本主義の波は押し寄せ、
真面目に勤勉に働く人が増え続けている。
タクシーで道をちょっと間違っただけで、
日本人のように丁寧にお辞儀して謝られた時は、こっちまで申し訳なく思ってしまった。
落伍者の私は、しばらくは、日本よりも海外の方が、穏やかに過ごせるように感じた。